続・奥の細道 松島~平泉
パイラ松島YH出発(07:00)
場所は辺鄙ですがいいYHでした。名残惜しいですが平泉に向けて出発。
YHのすぐ先にある道、朝日を受けてすごく素敵でした。
石巻(08:30)
松島を出発して、まず目指すのは石巻。
『新版 おくのほそ道』(角川書店、2006年第三版) 石巻より
十二日、平泉と志し、姉歯の松・緒絶えの橋など聞伝へて、人跡まれに雉兎蒭□の往きかふ道そことも分かず、ついに道踏みたがへて石の巻といふ港に出づ。「こがね花咲く」とよみて奉りたる金華山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竃の煙立続けたり。思ひがけずかかる所にも来たれるかなと、宿借らんとすれど、さらに宿貸す人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明かして、明ればまた知らぬ道迷ひ行く。袖の渡り・尾ぶちの牧・真野の萱原などよそ目にみて、遥なる堤を行く。心細き長沼に添うて、戸伊摩という所に一宿して、平泉に到る。其間二十余里ほどとゝおぼゆ。
奥の細道とは関係ないですが、石巻は町の名前にもちなんだ石ノ森章太郎の故郷です。石ノ森章太郎さんは、仮面ライダーからロボコン、サイボーク007、星の子チョビンなどなど多くの作品を創作しており街中のあちこちでそれらのイラストや像に出会えます。
石巻市を北上しようとすると、東北最大の河川・北上川に出会います。ほんとにおっきい川です。最上川に次ぐ高低の緩やかな川で、のんびり流れています。奥の細道本文にある”明ればまた知らぬ道迷ひ行く。袖の渡り・尾ぶちの牧・真野の萱原などよそ目にみて、遥なる堤を行く。心細き長沼に添うて、戸伊摩という所に一宿して、平泉に到る。”まさしく、その通りに両岸が山に囲まれて心細い気がする。但し、芭蕉が歩いたころよりは、河川改修が進みその頃とは様相はだいぶん違うようですが。
途中、登米(戸伊摩・といま)に入る直前に『おくの細道の碑』を見つけました。
北上川沿いの一ノ関街道、途中採石場が有り、例にもれず採石場からの細かく砕かれた石の残骸が残っており、車どおりも多い中、なかなかスリリングな道でした。
とうとうと流れる北上川。
登米(とよま)
北上川を渡ると、登米に到着です。何回復習しても、なかなかきちんと読めない地名です。今はのどかな町ですが、明治の頃には水沢県庁舎があり行政の中心地だったようです。そのため、町の中に行くと古い建物がたくさん有り、昔が偲ばれます。
ご当地名物、とよま丼(あぶら麩丼)(左)、右も名物のはっとです。どちらも地場産品のあぶら麩を使ったメニューで、おいしかったです。
芭蕉はここ登米で宿泊しました。北上川沿いに”芭蕉翁一宿之跡”が有ります。
14:00 岩手県に入りました
岩手県は出張で盛岡に、いや盛岡大学に行っただけ。なのでほぼ初めてな感じです。まず足を踏み入れたのは、一関市です。その向こうに今日の目的地の平泉があります。後もう少しだって安心したものの、一関の道のりは長かったです。
16:00 ようやく一関市内到着
想像してたよりこじんまりした駅でした。そのすぐ先には、立派な奥の細道の標識が。
16:40 毛越寺YH到着
さらにもう少し行くと平泉到着です。まずは荷物を置きにYHへ。ひさびさ宿坊です。大広間で寝るのかと思ったら、きちんと部屋が有り2段ベッドに一安心でした。
天台宗別格本山毛越寺内・芭蕉句碑
案内板より:元禄二年(1689)高館を訪れて詠んだ、「夏草や兵どもが夢の跡」を刻む。左の小さい碑が芭蕉の真筆といわれ、芭蕉の甥碓花坊也寥禅師による建碑。右の碑は文化三年(1806)に地元俳人素鳥たちによってたてらてら副碑。
"The summer grass 'Tis all that's left Of ancient warriors' dream" Inazo Nitobe
英訳したのは新渡戸稲造。少し前の世代の人であれば5, 000円札の人物といえば親しいのでは。これも毛越寺の中に置かれています。
高館義経堂 義経最期の地といわれるところです。芭蕉は兵どもが夢の跡の句をここで詠んだと言われ、ここにも句碑は置かれています。
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